大野城の整体なら「いで整骨院」痛みやシビレを根本改善!

井手 和広(いで かずひろ)

院長保有資格:バランスセラピー大学専門課程卒業・柔道整復師免許・ストレスケアカウンセラー取得・DRT認定インストラクター・疲労回復整体習得・モルフォセラピスト認定・兒玉総合法律事務所被害者救済院認定

業界歴:2022年で業界歴21年

施術メニュー:根本改善整体(筋骨格神経調整)・自律神経調整・骨盤調整

趣味・特技:映画鑑賞・読書・ゲーム・武術

得意な施術:自律神経系の施術

得意なアドバイス内容:自律神経に関するアドバイス

健康のために行っていること:分子栄養学・プチ断食・散歩・マインドフルネス瞑想・武術

お客様へメッセージ:皆様に喜ばれる院を目指しスタッフ全員で日々多くのことを学び、吸収しています。

スタッフ全員で皆様の心と身体を元気にしていきます!いで整骨院をよろしくお願いします。

井手和広 ストーリー

昭和53年10月1日に福岡市で生まれました。

17歳までは南区若久に住んでいましたが、春日市に引っ越してきました。

結婚当初は奥さんの実家の近くの糸島に、その後は子供が小学生になり大野城市に現在は住んでいます。

幼少期

幼少の頃は色白で女の子と間違えられる事もあったそうです。その時期に肝臓や精巣を悪くして手術をした事もあり、病弱でよく入院を繰り返していました。祖母がよく病院に来てくれた事は今でも覚えています

小学校に上がってからは、活発になり病弱だった身体も問題なくなり楽しく過ごしていました。

原因不明の症状で苦しんだ中学生時代

問題は中学1年生になった時でした。
活発ではあったのですが、もともとは神経質で新しい環境のストレスやホルモンの変化からか、中学一年の時に息苦しくなり、呼吸ができなくなるのではという恐怖に襲われました。

この時に死の恐怖を感じて、死に対して凄い恐怖を覚えました。そして人の生死について深く考えたのもこの時期です。この苦しさから神様に本気で祈ったのも覚えています。

喉の詰まる感じでパニックになり、親も心配して色んな病院にも行きましたが、精神的なものだろうという事で済まされていました。この様な不安の中でも、休みがちでしたがなんとか頑張って学校には行っていました。しかし気持ちも塞ぎ込み不安により気持ちも身体も弱くなっていました。

 

救いになった空手と健康法との出会い

健康や自分を強くする為という思いもあり、体調不良で続けられなくなったサッカー部をやめて、近所にあった沖縄小林流空手を習いに行く事にしました。空手なんて怖いという思いもありましたが、心身が強くなりたいという気持ちが強くあったので入門しました。

空手の先生達は間違った事には厳しいですが、本当の意味で優しくて学校の先生とは違うなと感じました。そこから身体を鍛えたり技を身に付けていくのと、道場にあった西野流呼吸法という気功をセルフケアでやっていった事で、自分に自信が付いてきたのでしょう、だんだんと私のパニック症状も治まり学校にも行けるようになってきました。

自分の心や身体が強くなる事で、周りは変わっていくというのを感じました。
反面、弱いものに対しては人間は酷い事も出来るのだなと人に対する恐怖も感じた時期でした。それくらい人間は弱い生き物なんだなと思いましたし、自分を守れる気持ち、身体を持つ必要性を強く感じたのを覚えています。

中学時代に影響を受けた本、人物

そしてもう一つ私の回復に大きな影響を与えたのが、体調不良の時期に父親が知人から借りてきた本で「騙されたと思って読んでみろ、最初の数十ページは飛ばしても良いので」と言われパニックの最中でしたが、何でも試してみようと思い読んでみました。

その本のタイトルは『ヨーガに生きる』という本で、当時、不治の病の結核にかかり絶望していた医師であり軍人だった中村三郎(後の中村天風)がヨガの聖人、カリアッパ師に出会い何をしても治らなかった結核を、悟りを開く事で結核が治癒するという実話の本でした。

中村三郎は強い自信の持ち主でした。
本人が医師であるにもかかわらず、病気に何をやっても効果がなく、どんどん心も身体も弱っていく自分に失望し自信を失っていくのですが、その中で本当に大事な事に気づいていく過程が、今の自分と重なり合い、私の心に響きました。

そして西洋医学だけでなく、東洋医学的な人間の持つ自然治癒力の大事さに気付いたのもこの頃からだったと思います。

人間の心と身体は繋がっているという事を実感した時期でもあり、この時期からおろぼげながら人を治す癒す仕事をしたいなという思いが芽生えていました。
中学時代の友達にも話していた様です。

今でもこの本は自分に困難が訪れた時に読み返しています。

 

武術マニアの高校時代

高校時代は中学時代に自分を守り強くしてくれた空手や武術全般に傾倒し非常に面白くなり、日々色々な武術の研究や練習をしていました。

その中でも力にあまり頼らない、武術や技をよく研究していました。この頃の身体操法の研究、練習は今の施術や患者さんへの生活指導にも活かされています。

空手で黒帯を取得し、組手試合で県3位になりました。
しかし自分は試合に勝つ技術だけではなく、やはり身体が小さく力が無い人でも自分を守る護身術に対して興味が強かったと思います。

そのような思いもあり空手の源流になるという事と拳児という劇画の影響から、中国武術に興味が湧きました。17才の時に引越し春日で中国武術の道場を探していた時、まさに自分がやってみたいと思っていた八極拳、蟷螂拳を教えている先生を見つけて道場に通う様になりました。

道場主である曽根先生は鍼灸師という事もあり今でも交流があります。尊敬する先生の一人です。
高校時代はこの様に武術マニアという状況で過ごしていました。

 

大学時代、症状の再発

やりたい事がまだ自分の中ではっきりしなかったので、とりあえずという気持ちで大学に入ったのですがそこでまた事件が起きました。

日々にやりがいを感じない事や、生活習慣の乱れが良くなかったのかもしれません。
中学時代に起きたパニック発作、不安障害がまた始まりました。

この時は空手、武術をやっていたので自分に自信が出ていました。しかしその様な自信が根底から崩されました。
今回の症状は自分でどんなに体操、身体を鍛える、気持ちを強く持つなどをしても、やればやるほど酷くなる状況でした。

しだいに人に会うのも怖くなって、外に出るのが嫌になってきました。こんな弱った自分を見せたくない、見られたくないというプライドが強かったのでしょう。
どんどん自信を失って死にたいとすら思う気持ちになっていました。

病院に行っても、たいして話も聞いてもらえず。先生はカルテと睨めっこ、こんなのでは治るはずがないと思いました。
今の病院は大分改善されているのかもしれませんが、当時の私が行った病院はそのような感じでした。

筋肉から脳へのアプローチで回復、自律神経を整える整体との出会い

そんな中、藁をもすがる思いで行ったのが、本屋で見つけた本を読んで行ったバランスセラピーという整体の様な施術をしている所でした。

この様な施術を受けるのは初めてでした。先生も優しく親身に話を聞いてくれて、施術を2回ほど受けた時に物凄く周りが明るく見える様な、凄く気持ちと身体がスッキリする感じを受けました。

院長の末田先生は今ではバランスセラピーから独立して自分の協会を立ち上げています。私の尊敬する、そして恩人の先生です。

改善していくのをキッカケに、私はこの道に進みたいと心から思いました。大学に行きながらバランスセラピーの学校にも通いました。
施術代と学費を払う為に、バイトも始めました。

目標ができた事で、まだ苦しく症状はありましたが何とか日々こなしていく事ができました。

もう一つの回復のキッカケ、森田療法との出会い

そしてもう一つその時に出会った本に「心配性を治す本」という本があります。

それは森田療法という森田正馬という精神科医の先生が作ったという精神療法を紹介しそして実践方法が書いている本で、この出会いもなければ今の私はないと言えます。

森田療法は、不安や恐れの感情を
逆に私の闘う気持ちがよくないという事が書いていました。

恐怖や不安の感情は自然に湧いてくるもので、その感情を気合いで何とかコントロールしようとしたり、何とかしよう、何とかしようという思いが私の症状を酷くしているという事、頑張れば頑張るほど悪化させていたのです。

頑張って自分で色々な事を克服したからこそ頑張れば何とかなるという思いが強くあったのでしょう。ですがそれが逆効果だったのです。

森田療法を勉強するにつれ、あるがままという考えを学びました。そこから私は徐々にではありますが、ありのままの自分を受け入れていける様になっていったと思います。

当時は弱い自分はダメだと、無理をしていましたが、今は弱い自分もありだなと思える様になり、それが本来の自分なのだなと、本当は人が怖いのも、臆病なのも自分なのだなと思えてからは、症状がぶり返しにくくなったと思います。

森田療法の勉強は今でも続けています。それくらい奥が深いのです。森田療法関連の冊子や書籍は数十冊は読んでいると思います。

 

苦しいながらも日々を充実させた、大学生活後半

大学に通いながら、バランスセラピーの学校、バイト、中国武術、円心空手(フルコンタクト空手も経験してみたかったので1年ほど通いました)と症状はあり苦しいながらも、忙しい日々を過ごしていました。

森田療法の考えの中に実生活上の悪循環を起こすと、症状が酷くなるというのがあったのでこの時期は、キツいながらも出来るだけ日常生活を普通通りやれる様にしていました。

「外装整えば内装自ずから熟す」これも森田療法の言葉です。

・日常生活を健康人らしくしていれば、心もそれに合わせ変わってくるという意味

この様な言葉を胸に、気持ちはどうであれ、日々やるべき事はやれる範囲でやろうと
やっていくうちに気持ちも不安はありながらでも変わっていくのを実感できました。

もちろん本当に動けないくらい辛い時はしょうがないですが、できる範囲で行動だけはやっていきました。

その甲斐あり、休みがちだった大学もなんとか卒業できました。

 

本格的に治療家への道へ、整骨院での修業時代

その後は社会人になるのですが、やはり自分は整体・カウンセリングの仕事がしたいという思いが在学中にも強くなっていましたので、仕事を辞めてバランスセラピー学の専門過程(教員の資格)に進み、近所で求人募集していた整骨院で修行しながら学校に通う事にしました。

当時の整骨院は今の様に会社という感じではなく、非常に厳しくて給料も安く怒られてばかりで修行の様な感じでした。ですが、むしろこの時期に厳しく指導して頂いて、社会人としてのマナーや経営も学ぶ事ができて感謝しています。

この若い時に鍛えて頂いたので、ちょっとの事では挫けない心が身についたと思います。それは開業した今でも生きています。

人に感謝される喜びを感じる事ができましたし、それが今の私の原動力にもなっています。

その後はバランスセラピー学専門過程にも合格しました。

整骨院の院長の進めもあり、民間資格だけでなく国家資格も取得したいという思いが強くなり、朝から夕方までは整骨院、夕方からは国家資格の学校という生活を3年続けました。

国家資格の学生時代に今の奥さんとは出会い、付き合い始め今に至っています。

 

国家資格取得、親友の死

しかし国家試験が終わったその日に、非常に悲しい知らせがありました。
私の大学時代からの親友が自殺したという知らせを受けたのです。

国家試験まで後3ヶ月ほどとなり、その間辛そうだった親友とも連絡を取っていませんでした。
国家試験も終わりホッとしたその日でした。

私が症状で苦しんでいる時にも励まし、励まされ一緒にやってきた親友でした。彼も大学時代から精神の病にかかり、苦しんでいたのです。彼は大学は辞めてしまい、仕事もいくつかやっては心が持たず、引きこもりになってしまいました。

今の私であれば、多くの知識、経験で彼を少しでも良い方に導けたのではないかと思いますが、当時の私は仕事、国家資格の勉強にと追われていて、以前より話を聞いて上げれなかったという思いがあります。その親友が、自殺したと聞いて非常に心が締め付けられました。「何でもっと、話を聞いて上げれなかったんだろう、もっとこうしていれば」そういう思いが頭から離れませんでした。

この事をきっかけに、元々持っていた心と身体の辛さに苦しむ人を何とか楽にしていきたい、それを私の一生の使命にしてこの仕事をやっていくのだという思いが、悔しさと情け無さと共に強い信念になりました。

いで整骨院の開業

その後、分院長の経験、現在のスタッフの北先生との出会い、結婚、子育てと忙しい日々を過ごしながら、業界の経験10年を経て2012年10月に福岡県大野城市に念願のいで整骨院を開業します。

この時期には妻や親類、スタッフの北先生に随分おせわになりました。

今の自分があるのは、多くの人のお陰だと思っています。

開業後、保険診療から自費診療へ

それから数年は多くのスタッフを雇い保険診療を続けていくのですが、保険に縛られる事で、自分が最初に思っていた自律神経症状の方を改善させる事、やりたい治療、もしくはやった方が良いと思う治療があまりできずにいました。

さらに保険の診療報酬が低減して厳しくなっていき、しっかりと患者さんをみる時間を取れず悩んでいました。

私はしっかりと一人一人の患者さんを診て行きたいという思いが強くなり、勇気がいる事でしたが、そこで思いきって保険を使うのを辞めて保険診療から自費治療に切り替えました。

保険診療を辞めた当初は売上が厳しくなり、不安が強くなり、不安障害やパニック発作や不眠がぶり返してきました。

しかし森田療法の考え、あるがままに為すべきをなすを実践して、何とか乗り越え、自費診療でも以前より安定していく事ができるようになっていきました。

当院オリジナルの治療法開発

保険診療から自費治療になりどこに行っても治らない重症な方が増えて来た事により、改善する事ができる人とできない人が出てきて、なぜこの人は同じように施術していて、改善しないのかという事に悩むようになりました。

そこからは研究の日々が始まりました。
多くの研究や文献などで症状の事を調べて、改善する為の方法やセルフケアを試すを繰り返していました。

県外の勉強会にも行き始めました。
東京や大阪などに積極的に出かけて最新の技術や知識を身につける事もしていきました。
せっかく私の所に来てくれているのに改善させられない事が本当に悔しく申し訳なかったのです。

そこから研究に研究を重ねて開発したのが当院の筋骨格神経調整です。

当院の施術に完成という事はありません。年々レベルアップしていく施術そしてセルフケア、カウンセリングです。

元はバランスセラピーや森田療法の考え方も含まれています。そこに分子栄養学や武術の身体操法、多くの施術法の良い所を抽出して作り出した技術であり生活指導法です。

 

開業して10年、そして現在

現在は開業して10年になり、色々な事がありながらも、今こうして診療していけるのは、今でも変わらずメンテナンスで通われている患者さんやスタッフ、家族のおかげだと思っています。2020年からはコロナウイルスの影響もありましたがスタッフ、家族と共に乗り越えようと思います。

私と同じように体や心の悩みで本当にやりたいことができない人を、一人でも減らしたい。痛みや辛さがなく健康に過ごせる人を一人でも多く増やすために、やり甲斐を持って福岡県大野城市にて日々治療、研究に励んでいます。

 

 

北 健二(きた けんじ)

副院長保有資格: DRT認定インストラクター・FSCC整体アドバンス習得、

業界歴:2022年で業界歴15年

施術メニュー:根本改善整体(筋骨格神経調整)・自律神経調整・骨盤調整

趣味・特技:筋トレ・野球:高校まで硬式でしていました。今は観戦ばかりです。

得意な施術:肩・腰の施術

得意なアドバイス内容:トレーニングジムでの勤務経験を活かした運動の指導

健康のために行っていること:体力・姿勢維持のためのトレーニング

お客様へのメッセージ:皆様がいで整骨院に来てよかった!と思って頂けるような心身ともに癒やされる整骨院を目指しています。初めての方も安心してご来院下さいね!

 

北健二 ストーリー

 

幼少期

いで整骨院・整体院スタッフの北 健二と申します。福岡県福岡市西区姪浜で生まれました。

兄と8才差、姉と6才差で年が離れていたので、一人っ子のように過ごすことが多かったようです。一人遊びが得意で、母親は手が掛からなくて楽だったとよく話していました。

ただ、とてもボーッとしていて注意力がなかったので車に轢かれそうになることが多々あったそうです。そのせいで兄や姉は怖くて私と一緒に歩きたくないと言っていたそうです。

家族のおかげで何とか無事にこれまで生き延びました。
家の近くにあるときわ幼稚園には3年間通いました。ちょっかいを出してくる苦手なお友達がいたらしく、通い始めの頃はなかなか教室に入れなかったそうです。

バスで登園していましたが、母親に迎えに来てもらいたくて帰りのバスに乗らずにみんなを困らせていたらしいです。自分ではおぼろげな記憶しかありませんが…。

小学生時代

福岡市立姪浜小学校に入学しました。小学生になると持ち前?の注意力不足が顔を出してしまい、給食エプロンを忘れたり、傘を置き忘れたりは日常茶飯事でした。

挙句の果てにはランドセルを忘れて学校に行くこともありました。それでも飽き足らずにランドセルを学校に置き忘れて家に帰ったこともありました。しかも、担任の先生が電話して下さるまで全く気がついていなかったのです!

さすがに自分で自分にあきれてしまった記憶があります。

注意力の無さを心配した母から、心身を鍛える為に無理やりソフトボールクラブに入れられていました。

 

中学生時代

福岡市立姪浜中学校に入学してからは野球部に入部しました。ソフトボールクラブのチームメイト達に誘われて一緒に入部しました。

小学生の頃はソフトボールをさせられている感じでしたが、中学生になって野球というスポーツのことが少しずつ分かるようになってきて練習も楽しくできるようになっていました。

順調に中学校生活もスタートしていきましたが、中学2年生になってすぐに思いもしない出来事が起こりました。

祖母の病気と介護で福岡から長崎県五島に転校

突然の知らせでした。長崎の五島列島に住む父方の祖母が脳梗塞で倒れてしまったのです。命が助かったのは幸いでしたが、左半身が不自由になってしまい、介護が必要になってしまいました。

父は長男でもあるし、自分が面倒を見てあげたいということで実家に戻ることになったのです。兄は当時すでに大学生でしたから福岡に残り、4人で五島列島に引っ越すことになりました。

自分が引っ越して転校することがあるなんて想像したこともなかったので、当時は大丈夫だろうかと心配していました。

中学2年生の夏休み明け。ついに転校先の上五島中学校に登校する日がやってきました。転校生に対してみんなどんな反応をするのかな?と恐る恐る教室に入ったのを覚えています。

しかし、そんな心配はすぐに吹き飛ぶくらいクラスメイトのみんなは優しく話しかけてくれました。

部活も引き続き野球部に入り、楽しい中学校生活を送っていました。しかし、中学3年の夏の大会直前に体の異変が起こりました。

野球のやり過ぎで肩の故障に

異変が起きたのはある日のキャッチボール中でした。ボールを投げる瞬間に右肩の痛みを感じ始めたのです。

一時的な軽い痛みだろう、すぐ良くなるだろうと甘く見ていました。その後も練習を続けていましたが、良くなるどころか痛みは日に日に増していきました。

私はその頃外野手を主にしていましたが、最後の大会を終える頃には内野手にボールを返すのもやっと届くくらいしか投げられなくなっていました。

部活を引退してからようやく病院に行きましたが、無理にボールを投げ続けてしまったことで肩周辺の筋肉をひどく痛めてしまったということでした。

元のように治すのは難しいと言われてしまい落ち込んでいました。

右肩の痛みもあり、高校でも野球を続けるか悩んでいましたが、同じ中学校のチームメイトから高校でも野球部に入るという話を聞いていると自分もそれでもやってみたいという気持ちに傾いていきました。

 

高校時代

高校生になると学校生活も一段と忙しくなり、朝は7時半スタートの課外授業から部活を終えて家に着くのは21時過ぎでした。本当にあっという間の3年間だったという印象です。

高校野球の練習は厳しく、ついていくのもやっとでした。残念ながらレギュラーになることはできませんでした。

しかし肩の故障を抱えながら3年間なんとかやってきて、やりたい事が実現できない方の気持ちがわかるよい経験だったと今は思いますし、その時の辛い経験が今の患者さんの辛い気持ちをわかる事にも活きています。当時にいで整骨院さんのような施術所が無かったのが悔しいです。

その後は宮崎大学工学部物質環境化学科を受験し、入学することができました。高校卒業後から初めて親元を離れ、宮崎で一人暮らしを始めました。

大学進学後、夢と現実のギャップに悩む

大学生になると自分の時間が増え、自分自身で考えて決めることが多くなりました。しかしせっかく大学に入ったものの夢と現実のギャップを感じ始め、その中で自分が大学でしていることが本当に自分が学びたいこと、本当に将来やりたいことなのかが分からなくなっていきました。

そう悩んでいた頃にたまたま友人に誘われてトレーニングジムに行きました。そこでトレーニングしていると、体型もどんどん変わっていき、成果が出ることでますます夢中になっていきました。

自分の道を見つける

そこでふと高校の時に、肩の故障の辛さから怪我や不調を改善するスポーツトレーナーになりたいなとおぼろげに考えていたことを思い出しました。
その当時はスポーツの実績も何もない自分にはなれないだろうと思い、進路として頭には浮かびませんでしたが・・・

トレーニングジムに通い続けていると、スポーツトレーナとはスポーツをする選手の怪我の回復だけではなく、一般の方のダイエットや健康維持のための指導をしたり多くの方のための仕事なのだと気づきました。

そこで話を聞いていくと、トレーナーになるためには必ずしもスポーツが特別にできないといけないわけではなく、指導するための知識や技術を身につけていけば良いということを教えてもらい、自分の中でようやくこれだ!と思う道が見つかったと思いました。

大学中退とトレーナー時代

思い立ったら一直線で、大学を中退し、引っ越す前まで住んでいた福岡に戻ってスポーツジムで働きながらトレーナーの勉強を始めました。

今思えば、両親から大学まで通わせてもらっていたのに迷惑と心配ばかり掛けてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいですが、その当時は自分の思いばかりでそこまで気が回りませんでした。

まだまだ未熟者ですが、少しずつでも両親に恩返ししていきたいです。

トレーナーとして働くのは仕事の成果を自分の目で直接見ることができる、直接感謝される、とても充実したものでした。

そしてこのトレーナー時代に後の妻となる女性に出会いました。

妻との出会い

その女性は私がそのスポーツジムで働き始めてすぐ後くらいに働き始めました。私の第一印象は一目惚れ…ではなく何だか男前な人が入ってきたなぁと思っていました。

実際見た目も中身も男前な感じの人なのですが、時折弱い所を見せることがあり、可愛らしい、守ってあげたいと思うようになりました。

社内恋愛なので表向きはバレないようにしていたのですが、店長以外のほとんどのスタッフにはバレていました…。

交際自体は順調だったと思いますが、彼女は離婚歴があり、出会った当時3歳の女の子の子供がいました。私は小さい子供と接する機会はこれまであまりなく、子供は苦手かなと思っていたので、その子と顔を合わせるまで心配でした。

初めて彼女と娘さんと3人で公園で遊んだ日のことは今でもよく覚えています。途中で私がトイレに行ったのを帰ったしまったと思ったらしく、娘さんが大泣きしていたのを見て、子供って可愛いものだなぁ、いいものだなぁと思いました。

この経験が自分の子供に対する苦手意識をなくしてくれました。仕事のスポーツジムでしている子供のスイミングスクールの指導も苦手だったのですが、それ以降それも楽しくさせてもらえました。

彼女と娘さんとの将来を考えていくと親戚関係はどうだろうかと気になっていました。私の両親は最初に報告した時は反対していましたが、一度彼女と顔を合わせた時にとても気に入ったらしく、それ以降は反対されることはなく、色々と援助してくれました。

そして出会ってから約2年後に晴れて結婚しました。私が24歳、妻が31歳、娘が5歳の時でした。

2022年になり、今年で私は38歳になります。5歳だった長女も19歳になり社会人です。それから13歳で中学1年生の長男と10歳で小学4年生の次女がいます。お陰様で子供3人とも仲良く元気にしています。

治療家を目指して

トレーナーとしての仕事は充実はしていましたが、だんだんそれだけでは解決できないお客様の悩みが増えてきました。それはお身体の不調です。

体力をつける、体型を変えるなどトレーニングは素晴らしいものですが、腰が痛い、膝が痛いなどの不調はトレーニングだけではなかなか解決できないことも多かったのです。

そこで次に学びたいと思ったのが治療法です。その為には実際に治療の現場に行きながら勉強したいと思い、整骨院で働きながら勉強を続けていきました。

治療法にも様々なものがありました。患者様のお悩みを解決できてほっとしたり、なかなか改善が見られず悩んだり、試行錯誤の日々を送っていました。そんな時に一人の治療家に出会います。

 

井手先生との出会い

開業する前に別の整骨院を見てみたいと思っていらっしゃった現在のいで整骨院の院長である井手和広先生がたまたま私が働いていた整骨院で一緒に働くことになったのです。

井手先生はこれまで見てきた治療家の先生達以上に患者様を何とかしてあげたいという思いが伝わってきました。これが本物の治療家なのだと思いました。

もちろん長年の経験からくる知識や技術も素晴らしかったのですが、治療家にとって何が一番大事なのかをこの時教わることができたと思います。

その後私は別の治療院でまた勉強の日々を送ることになりましたが、井手先生がいで整骨院を開業された後に一緒に働かないかと声を掛けて下さったのです。

 

いで整骨院に来てから現在

井手先生の元で働けるというのはとても楽しみでもありましたが、要求されるものも高いだろうと気を引き締めていかなければと思っていました。

井手先生は一つ一つ治療家としての技術から心構えを教えて下さいました。

どうしても治療の技術に目が行きがちですが、それ以上に患者様への思いやり、心配り、そういった積み重ねが患者様のお悩みを解決することに繋がるということが身をもって体験させて頂いています。

いで整骨院に来て10年になりますが、これまで以上に中身の濃い有り難い日々を送らせて頂いています。少しでも患者様のお悩みの解決の手助けをさせて頂けるように全力で取り組んでいきます。

長文になりましたが、最後まで読んで頂き有難う御座いました。これからも皆様よろしくお願い致します。

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